2013年11月24日(日) 熊野古道体験ツアー 三瀬の渡しから瀧原宮 (車、徒歩)
昨日に引き続き「宮川流域案内人とともに」のツアーに参加した。今日は『宮川流域案内人とともに「熊野古道体験ツアー 三瀬の渡しから瀧原宮」』。私の参加目的の90%は三瀬の渡しにあった。残り10%はお伊勢さん125社巡り。
実は、三年前(2010年)にも流域案内人企画行事「熊熊野古道伊勢路を歩く!」で三瀬の渡しを渡る機会があったのだが、その時は前日の大雨で中止になってしまった。あれから約3年間、この日が来るのを心待ちにしていたのだった。
【参考】
- 10月10日 熊野古道伊勢路を歩く! (宮川流域エコミュージアム行事予定2010)
- 宮川・上條の渡し (その日の 私の記録)
今回は、ツアーのタイトルのキーワードになっている「三瀬の渡し」と「瀧原宮」は別の記録として、ここではツアーの全体を紹介する。こちらが参加案内。主催は昨日の記録でも紹介した「大台町ふるさと案内人の会」だ。
受付を済ませて参加者全員が集合すると出発となった。まずは三瀬の渡し跡を目指した。
奥伊勢おおだいから隣にあるMaxValuの前を通り、
私が歩いた熊野古道を途中まで逆行した。
【参考】 2013年05月25日の記録
小佐原橋で大谷川を越えると
上三瀬交差点では地下道で国道42号を渡った。
さらに進むと右手に見えていたはずの校舎(三重県立宮川高等学校(2012年廃校))が無くなっていた。先ほどの記録では堂々と建っていたのに・・・。
民家の間を進むと
その外れの右手に大谷不動明王が祀られている。
この鳥居をくぐり、沢筋へと下るようだ。ここは見学コースに入っていなかった。熊野古道を歩いた時にもお参りできずにいるので、次回の楽しみにとっておこう。
と言いつつ少しは未練があるのだろう。案内板にて紹介されている清滝と思われる滝を道路上から見下ろしてパチリ。
大谷不動明王を後にして先に進むと先行者は右へ折れた。
角の案内板には次のように記されていた。
戦国時代、織田信長に追われた八代伊勢国司北畠具教が三瀬館を構えた砦。この地の豪族で北畠氏に仕えていた三瀬左京祐の居城とされ井戸跡も残されている。現在は杉が植えられ、八幡社が祀られている。
この風景を背にして
三瀬砦へ向かうと
こんな風景。前方に見えるのは土塁だ。
さらに進むと説明板とその左手には鳥居が見える。八幡社の鳥居だろう。
このビューからでも土塁がよくわかる。
説明はこちらを・・・。
鳥居をくぐって中へ入ると
右手に井戸跡があり、
前進すると高台には
八幡社が祀られている。お参り。
さらにその奥では断崖が宮川まで落ちているとのこと。その風景を見るためにさらに進んだ。
少し開かれた場所にたどり着くと左右に高くなっている場所があった。
まずは右側の高台からパチリ、
パ〜〜〜チリ。
続いては左の高台からパチリ。これから向かう三瀬の渡しは紀勢自動車道の高架の奥の方だ。
八幡社の前まで戻ると続いては土塁の上を歩いた。
木々に隠される周囲の風景を楽しんでから三瀬砦跡を後にした。
最後にパチリ。
これが先ほど曲がったところ。
熊野古道に戻ると次は左手にある慶雲寺の前で停止。
古そうな石柱を見ていたら案内人の方が隣の馬頭観音の方が古いですよと教えてくれた。
パチリ。味がある。(古さには関係がないか)
さらに進むと分岐、私が熊野古道伊勢路を歩いた時は左からこちらへ歩いてきた。今日は右側へ歩いて行った。またこの分岐には興味深い案内板があった。
「長ケ2km→」、 「長ケ」の案内板は昨日の散策でも見かけた。
【参考】
分岐を右に進むと右手に道標がある。
反対側からもパチリ。
この近くには道標の説明板があり、その隣には三瀬の渡し舟案内板もある。
三瀬の渡し渡舟案内板には「熊野古道 三瀬の渡し保存会」の名前があり、日時を調整して予約すれば乗船できる旨が記されていた。この電話番号が変更されていなければ、
大台町観光協会 0598−84−1050
三瀬の渡し保存会 090−4861−9566
新たに設置されたという大台町 三瀬の渡し前 バスのりばの先は熊野古道だそうだ。私は迂回したのだろか? 大台町では大台町ふるさと案内人の会等により古い街道が再生されているとのこと。
三瀬の渡し方向へ進むと
左手遠方、田畑の中に道標が見えた。あれが熊野古道だそうだ。今度はこちらを歩いてみたい!
先ほど三瀬砦跡から小さく見えていた紀勢自動車道の高架を越えてから振り返って見上げながらパチリ。
この先は三瀬の渡しとなるので、別の記録で紹介。
【参考】
三瀬の渡しを体験した後は、お伊勢さん125社のひとつである多岐原神社へ向かった。
希望者のみ(自主的にお参りしたい人が勝手に)がお参り。
多岐原神社を出ると三瀬坂峠 三瀬川登り口へ向かう途中坂道でこんな道標を発見。誰がいつ・・・?
多岐原神社への道標を過ぎて車道へ出ると
ここからは私が熊野古道伊勢路を歩いたルートと同じだ。
【参考】
次のバスのりば。
この近くでは秋が深まっていた。もうすぐ冬だ。
三瀬坂峠 三瀬川登り口に到着すると、上着を脱いだり、水分を口に含んだり山登りの準備だ。思い思いに準備されている杖を借りると坂道を上り始めた。
その途中でパノラマ。
登り始めはゆっくり、ゆっくり・・・
これは誰の仕業だろう? 鹿?、熊?・・・ 意見は割れていた。
後は黙々と登るのみ。
三瀬坂峠に到着だ。
ここで昼食となり、今日は恒例のおにぎり、ただし大きめの二個だった。昼食を終えると周りの方々からさまざまなおすそ分けをいただいた。こちらはカレー風味で酢漬けのカリフラワー、食べるのがもったいないほど美しかった。でもパクリ。
昼食を終えると大台町ふるさと案内人の会の 上野 進 さんの解説の後、里方向への下山となった。
ほぼ下り切った辺りに猪垣が残されている。
三瀬坂池を左に見ながら進むと
里の登り口へ到着した。
この熊野街道の道標も懐かしい。ここに記されている距離は熊野古道伊勢路の踏破者には感慨深いものがあるだろう。
里登り口からは熊野古道へは入らず、瀧原宮を目指して国道42号の歩道を歩いた。
その途中で、高台にある宝積寺の銀杏をパチリ。かなり大きな木だ。
そして一人なら気付かない一里塚跡。これは民家の庭の隅に建てられていた。
この辺りだった。
次の里交差点を左折すると熊野古道へ戻った。里集会所を左手に見て
道標に従って道なりに進むと
里 [ 宮本スクールバス停 ] バスのりばがある。
こんな風景も・・。
この後、瀧原宮へのお参りは別の記録に。
【参考】
瀧原宮にてお参りを終えると、案内人の方々がドライバーとなり我々ツアー参加者を出発点の道の駅 奥伊勢おおだいまで送ってくれた。
そして、今日も素晴らしい一日が終了となった。
大台町ふるさと案内人の会の皆さんに感謝し、道の駅 奥伊勢おおだいを後にした。
【 20131124 の記録 】
- 米山新田(伊勢市円座町)
- 常夜燈(度会町坂井)
- 「國束寺観音道 二十二丁」の道標(度会町坂井)
- 浄保法師五輪塔(多気町相鹿瀬)
- 三瀬谷神社(大台町佐原)
- 熊野古道体験ツアー 三瀬の渡しから瀧原宮
→ 地元の方々の尽力で復活した三瀬の渡し 動画あり
→ 紅葉の瀧原宮